今日は「楽」の日、明日は一日がかりで飛行機の乗りつぎをしなければならない。体力は強引に持たせたが、倒れる寸前まで来ている。
ハイヂが一人ロンドン向け、キエフを出る日でもある。便は British
Airways のフライトの883.昼 2時15分発である。
実は明日に予定されたぼくの便を今日に繰り上げて、ハイヂに同行、ロンドン経由で帰れるように取り計らってみたのである。正直に言って、明日の一人旅に自信がなくなったからである。ぼくの体は熱病に弱い。発熱すると意気地もなく寝込んでしまう。ぼくの飛行便はポーランド · エアラインで二人ともマイレッジ プラスで航空券を買ってある。片道の飛行券を新しく購入しない限り、帰国を短縮する事はできないと言われる。当然な話であろう。
ぼくが恐れたのは、公衆の面前で倒れて、病院に強制入院させられることだった。ウクライナ共和国の医療施設の評判が良くないことは前述した。肺炎には真違ってもなれない。タイラノァを4時間おきに服用、飲料用の水を買い込んで30分おきに水分を取っているが、明日はこれができない。最近の航空旅行は不便になって、満席の飛行機の中でトイレの往復は殆ど不可能だからである。
ハイヂを見送って、キエフ空港からテムールのアパートまで帰ってくると、ぼくはブラッドに断って、先にベッドに休ませてもらった。幸運にも熱はまだ40度に達するところまでいっていない。今晩、一晩もたせれば、ワルショァでダウンしない限り、シカゴまで這ってでもいける。ポーランドのワルショァからのぼくの便はユナイテッドの3便、シカゴ行きなのだから。例えシカゴで救急車の厄介になる事があっても、ぼくの医療保険で米国内、何処にあっても加入している病院へアクセス、ぼくのかかりつけのドクターと連絡が取れるから、生命を危険に曝す事は在るまい。
些か悲壮な覚悟に迫られる状態になってきたが、個人の任意の要求が尊重されない東ヨ−ロッパを旅行するに当たって、当局のお役人さんの厄介には掛かりたくない次第だ。おまえは病気だから「旅」はできないよと言われれば如何ともし難いだろう。
するべき事を完了したからだろうか、精神的な負担は何もない。いまだ午後の4時、部屋は白昼のごとく明るかったが、よく眠れた。水分を取れるだけとっているので、目が覚めるのはトイレに通うためばかりであった。
今回の病いは決して、ここで感染したものではない。恐らく サン フランシスコを出る前に感冒のウイルスに感染していたのであろう。ただ旅先のために、過労もあって体の抵抗力が極度に低下していた為、発熱するほど悪化したのだと思う。致命的だったのは、この地のサニテーションがぼくが住み慣れたカルフォニァと比べて著しく劣っていた事だろう。かりに旅先でなく、家にいたならば2.3日の鼻かぜですんだ筈だった。
テムールのビジネス用のアパートで一睡もできなかった夜以来、ハイヂと事あるごとに、サニテーションの問題を語り合った。人体はその生活の場の環境に即応するのが常識である。水道の水でも、現地に住む者には無害であっても、環境の違うところからきた者には有害になる。水の中の細菌に対する耐久力ができていないからである。同様にウイルスのように呼吸器官が器になって、媒介されるものも、個人の環境の違いで、無害のはずのものが有害になる。
東欧における衛生管理はそこに常時住む者には充分であっても、西洋から一時訪問できたものには、要注意されるべきだろう。ハイヂが恐れてインテリアの家具、便器、壁、ドアに至るまで、神経を使い、手を触れうことを避けたのはそのためである。しかしこれは、土地のものに説明しても、わかり難い問題であろう。特に衛生管理の施設は文明、テクノロジーのレベルを評価する事になるから、土地のものたちは、デフェンシブにならざるをえない。ぼくとハイヂはだからこの問題に関してはできるだけ土地の人たちと話し合わなかった。いたずらに彼らを刺激したくなかったからである。
とはいうものの、ぼくらに危害のある環境は、西洋から来る者達に会えば、知らせておかなければならない知識である。もしぼくが、バビー ヤールを訪問する前の夜、テムールのビジネス用アパートで熟睡していれば、いや仮に3時間でも良いから眠る事ができたら、ウイルスに対抗するだけの耐久力は確保でき、これほど過労におちいることはなかっただろう。誤解があるといけないから、お断りしておくが、決して今回のぼくの発病を他人に転嫁しようとしているのではない。事情さえわかっていれば、ぼく自身が善処して、被害を避けることができた問題だったといいたいのである。即ち実情を詳細に調べて知っておく事、或はアコモデーションを提供しようとする側では、実情は事実のままの情報を通知しておく事の必要性を問題にしているつもりなのである。
このアパートを無料で提供しているのだから、少しぐらいの不便は我慢して貰えるだろうと考えるのは必ずしも、心あるもののすることではない。この問題はサニテーションに限らない。同じことをセキュウリテイを例に替えて考えてみよう。人間の生活の場では、文明社会と原始社会の違いに関わらず、セキュウリテイは必需品である。例えば自分の持ち物を管理できないところで生活するのは苦痛であるから、必要でない限り、そんな環境で生活するものはいない。財布を持って歩けなかったり、自分自身はおろか家族の者の保護もできないところに、好んで出入りするものはいない。
警備を厳重にして、法律を執行する警官を沢山、雇用すればよいと考える方もいるかもしれない。しかしその対策は、ベルデチェフのマーケットと同じく、入り口にロッカーを作って客の所持品を一時、取り上げるのとおなじで、決してセキュウリテーの向上にはならない。客は万引きをするものだと決めてかかっての対策だから、自主的なセキュウリテーとはならないのだ。ぼくは自主的という言葉を意識して使っている。一般大衆、或は客を信用できないのならば、商取引をするべきではないのである。ぼくらの社会には、需要と供給をバランスにした経済機構がある。供給者が需要者の要求を無視して、しかもなを、需要供給のバランスがとれる社会があるとすれば、それは施政者がその権力を悪用して捏造したバランスである。もちろん過去にいくらでも在った機構である。
ぼくらは、少なくとも、日本や西洋では、そんな社会を再現する望みはないはずである。供給者が需要者の要求を最大限に満足させるために、自主的に努力を払う経済機構を今、経験しているからである。ウクライナ共和国は過去のソ連邦時代から脱皮して、西洋の生活を始めている。デモクラシーの観念が、具体的に彼らの実生活を替えるのは時間の問題だ。今はまだ過渡期だったと言うのがぼくの観察である。客の万引きは決してなくなるものではない。供給者がいつの時代でも、払わなければならないリスクなのである。
SANITATION
と
SECURITY の S
を二つ例に挙げたので今ひとつ、SAFETY
(セイフテー)の問題をあげて考えてみよう。あなたに幼児がいれば、玩具を与えたいと思うのは親心で、どこの国、社会でも変わりはないだろうとおもう。しかしその玩具を与えたばっかりに、子供が怪我をする羽目になることだってあるのである。何処の親でも心配する問題だ。玩具のセイフウテイの保証ががなければ玩具は玩具としての資格がない。需要者側ではそんな玩具は商品としてアクセプトしないことになる。
ここで、ぼくの子供の時代に帰って、ぼくの遊んだ玩具を思い出してもらいたい。道路わきに落ちている薬莢を集めて造った、手製の手榴弾である。玩具を商品として買う需要のない時代である。手榴弾だからセイフテーの保証は全くない。しかし玩具としての役割は果していた。ぼくらはせっせと作って怪我人が出るのを知りつつそれで遊んだのだから。
ぼくとハイヂが語り合ったのは、その問題についてだった。SANITATION、SECURITY、
SAFETY は何れも現代社会の原則的な必需品である。しかしこれは生活の行われている場に「物」が充分に供給されているという条件があっての必需品なのである。「物」がなければ、サニテーションもセキュウリテーもセイフテイも意味をなさない。例えば財布があるから、それを失わないようにセキュウリテイの必要性ができてくる。一文なしが財布のセキュウリテーを心配する道理はないだろう。宿無しが家具のサニテ−ションを心配するわけがないのと同じである。
ハイヂは言った。ホテルで水道栓を開けて水が出てくるのを確かめて、「まず水は出るはね」 ぼくは念のためいいう。「飲んじゃ駄目だよ」と。「判ってるけど、出る水があるというのはありがたいじゃない。」つまり、水は出るけどお湯は出ないのである。顔を洗いたくともお湯が出なければ水で洗うしかない。もし水も出なければどうすればよいのだ。
ウクライナの国道でぼくはロシアの1950年代の国産車モスクビッチがまだ走っているのを見た。たまげてブラッドに聞いてみた。どんな整備をしているのだろう。純正部品がまだあるのだろうか。そうじゃないと言う。部品はベアリングにいたるまで自分で作るのだそうだ。部品ばかりではない。ガソリンもそうである。自家製のガソリンが沢山出回っているのだそうだ。そういうモータリストの間ではセイフテーは第一義にはならないだろう。ベアリングがあること。ガソリンがあること、くるまが実際に動くだけで満足しなければなならないのだから。
この度の旅でハイヂが最もショックを受けたのは、リチンの図書館で借りた裏庭の「厠」だった。今でもリチン市に金を寄付して図書館に便器つきのトイレを装備して貰うのだといっている。その「厠」でも同じことだ。「考えてみれば、あそこに厠があった事実は確かね」。なければもっと不便をする者がいるはずだという意味である。不便な思いをしているものにサニテ−ション云々を言ったところで始まらないのだ。
ぼくらはつくづく語り合った。ぼくらの住んでいる「生活の場」はそれほど恵まれすぎているのだろうか。それともサニテ−ション、セキュウリテイ−、セイフテイが設備されるような「生活の場」のあることを知らせて、啓蒙するのがぼくらのするべきことではないのか。
ぼくはいつか深い眠りに落ち入った。
|