ライブラリーに行くには一旦、外に出なければならない。建物が別棟になっていて、副市長のオフイスの裏側にあるからである。まだ正午過ぎだというのに、夕暮れかのように暗くなりはじめた。雨が降りそうである。ぼくは不安になる。風邪で微熱があるのだから、雨にぬれるのはよくない。横でハイヂがくすくす笑っている。何がおかしいのか聞いてみる。あなたにはレポーターに慣れる才能があるという。うっかりしていたが、ハイヂには日本で新聞記者をしたことがあるのを話していない。別に隠していたわけではないが、それを話すチャンスがなかっただけのことだ。いまさら、実は....と話す訳にもいかないので、そんな才能など持ち合わせないと誤魔化しておいた。ぼくがしたことは、レポーターになるための才能とは全く関係ないことで、あくまでも図々しく世の中を渡っていくための悪知恵みたいなものだったのだから。自慢する謂れは全くない。
ライブラリーのクルーは館長さんを加えて計6人、全員女性だったが、実に親切で実直な方ばかりであった。ぼくらは古い新聞、雑誌、会報の切抜きをゼロクスでコピーする作業を2時間ほど続けただろうか。
ぼくは体力の衰えを身にしみて感じ取っていた。思考を集中できない。切抜きの見出しを一枚一枚ブラッドに読んで貰い、必要な切抜きをハイヂに渡す。ハイヂはそれを係員に渡して5人の係官が5台のゼロックスを使ってコピーして下さる。ベルト コンベア式に仕事を合理的に進めようとする意思はあるのだが、どうするべきなのか判らなくなり始めた。これが役に立つ資料になるのかならないのか判断がつかない。ついには、もうこれでいいんじゃないのか、と考え初めて、ハイヂが差し出した古い年表を見ずもせず、不要用の箱に入れてしまって、ハイヂに窘められた。「3年がかりで数千マイルの旅をしてきたのに、ここで挫けては後で後悔するわよ」。全くそのとうりである。「悪かった」と謝って、更に小一時間、頑張った。
ハイヂがそわそわし出したのに気が付いた。ぼくの顔を正視して、トイレに行きたいが一緒にきてくれるかと聞く。ここはお役所なのだから、施設も民間のものより良いだろうと考えたのが大間違いだった。クルーの一人に案内して貰って、ハイヂと同行した所が裏庭だった。昔、日本にあった街角の交番みたいな小屋が建っている。ぼくも南九州の農家で似たような厠を使ったのをおぼえている。ハイヂの顔に不安の翳がさした。いまさら引き返すわけにはいかないので、ハイデは無理に笑顔を造って中に消えた。直ぐに出てくると思ったが、意外と時間がかかった。おもわずノックををしかけたときに彼女が笑顔で出てきた。
ぼくはほっとした。偶々にわか雨が降りだしたので、あんないして呉れた係員が傘をさしてハイヂを屋内にエスコートしてくれた。ぼくは安心して自分の用を足そうと思って厠に入った。前にも書いたがぼくは臭覚が全く利かない。その代わりといっては変に聞こえるが、口径で臭覚を補うような感覚を養ってきた。だから、厠の中が異常な雰囲気であることがわかる。目を落とすと正方形の井戸らしいものが口をあけている。太い板が二本足踏みの代わりに、橋げたみたいにかかっている。用を足すにはこの板の上に乗らなければならない。下は緑色の糞沼である。さすがに立ち竦んだが、前のジッパーを空けるだけの作業だったから、目をつぶって用を足し、いそいで外に出た。外にはおなじ案内嬢が傘を差し出して待ってくれていた。
図書館の資料室でこれほど根を詰めてアーカイブを漁ったのはひさしぶりのことである。赤坂の離宮跡にできた国営の図書館に通った時代をお思いだしていた。気が付くとバックパックが膨れ上がる程の資料の山である。これ以上は持ってかえれまい。ここがしほ時と、コピー料の精算をしてもらう。一枚一コペートの安さでも一人では持ちきれないほどの量ともなると、さすがに安くない。こっちも大変だったが、手伝ってくれた係りの女性達も大変だっただろう。前員にそれぞれチップを取ってもらい、図書館の費用のドーネエイションとして少々寄付を室長さんに提供した。あまり前例のないことをしたらしく。資料室を後にするとき全員、出口まで挨拶に出てきてもらい恐縮する。
仕事に区切りをつけたきっかけは今ひとつ。ハイヂを案じてのことである。ホテルに帰るのには後2時間はかかるだろうから、彼女のために、どこか人ごみを避けた野原か空き地を探さなければならない。ブラッドに頼んで車を市外に向けてもらった。 |