土曜日にサーシャが道案内してくれたので、もう、慣れた道路を東側から入って、南北に走る道と会う、交差点まで往く。簡易な食堂をかねたコンビーネントの店があったので、入って、ランチ用サンドイッチの材料を買い込む。右手にバスの停留所、左がメモリアルパークである。どうやらここが村の中心部であるらしい。三路の角の向かいはロシア正教会の墓地のようである。軍人の写真が掲載され葬儀用の華が飾られてある。ぼくはブラッドとハイヂが買い物をしている間、南口へ向かって暫く歩いてみた。左にビニッチァ郡の出張所を示すサインのある建物が見える。郡のお役人さんのいるオフィスらしい。南口まで歩いて大体10分と目算した。一旦車に戻ると、北の出口まで車でクルーズしてみる。意外と長い道である。総人口2000人の村にしては、面積がかなり広い。北口から先は展望が開けて、地平線まで見とうしができる大草原だった。
少し取材をしたいので、村の中心まで戻ると、さっき見たお役所の出張所に立ち寄ることにした。ブラッドがまず様子を見に入ったがなかなか帰ってこない。中に詳細な村の地図が掲載されていたのを調べていたという。ぼくとハイデは早速、カメラを持って中に入った。
オフイスには係りつけの役人がいたが、ビニッツァのときと同様、取っ付きが悪い。何を聞いても知らないという。やむをえないので壁一面に掲示された地図をカメラに収める。制服に身を固めたシェリフらしい役人も見かけた。
これはビニッチァのオフイスで聞いたことだが、この村は最近、ジプシーがたくさん移住してきているらしい。残念ながらぼくには、ジプシーと地元の百姓との見分けがつかない。道行く人はさすがに外国人、とくにぼくみたいな東洋人は見たことがないらしい。ぼくら3人はすでに村の話題になっている様子だった。家の中から出てきて挨拶をするものもいる。しかし、嗜みが良く、じろじろ見られることはなかった。非常に感じのよい村人達ではあった。
北端の出口まで戻り、車から降りて、大自然の美しさをゆっくり楽しんだ。ハイヂとここの土地を買って、牧畜か園芸を経営してみるのもいいなと語り合うほど、土地は美しく、魅力があった。
空気も新鮮だし、カルフォニァ見たいに、汚染されたスモッグは全く感じられない。夏嵐が来るらしく湿気はあるが生暖かく、ぼくらが来た所とは全く違う天候である。昼過ぎの2時間をのんびりと過ごした。
ぼくの悪い癖だが、緑の草原に座って、暫し夢のような考えを弄んだ。ハイヂには事情さえ許せばここに土地を買いたいつもりがある。本人が言ったわけではないが、20年間より添った者のカンである。ぼくは恐らく反対して止めるだろうが、けっして悪い案ではない。特に時価がただみたいに安いのだから、まとまった敷地を今買っておけば10年後には大変な財産になるだろうから。問題は新共和国の政体である。クチマ大統領は今期限りで後継者を迎えるが、誰が政権をとるのかが問題である。元ソビエット政権を復活させようとするものたちに政権が移ると又もとの木阿弥だろう。ここに不動産を持っていることで、とんだ迷惑がかかってくるかもしれない。
とは、思ってみても、それは理屈である。こうして、隠れた理想郷を目の前に見ていると、好き勝手な想像をしてみたくなる。仮にこの村を村ごと買い取ったとする。恐らく住み着くには少し遅れすぎているから、自宅はカルフォニァにして、ここには村長のマネージメントのできるものを雇う。さて何から始めるかである。一番大切なことは、医療設備である。共和国自体が医学者の海外流失で、ウクライナ語を書き話す人材がなくなったと聞く。ぼくだったらこうすると考えた。
12,3人の医学生インターンをカリフォニァで募集して、2年計画で彼らをこの村に送り込む。同時に村人を率先して医療用のクリニックを建設、ここに小さな自治体をつくり上げる。発電所を建てて上下水の施設を架設すれば、村民は安心して作農に従事できるから、5年後には彼らの収入で元が取れるのではないだろうか。
少し乱暴な白昼夢ではあったが、ぼくは愉しかった。残念ながら時は人を待たず、これからザルジネに回る予定がある。ぼくらは腰を挙げ、村を後にした。後もう一度来ることを誓って。
村を出て1キロほどの地点で、シェリフの制服をきた役人が一人歩いて帰る姿を見た。車をとめて聞くと、リチンまで帰らなければならないという。ぼくらはザルージナ周りだが、とにかく国道まででもと車に乗って貰った。 |